「なぁに、簡単な肉体労働さ、その洒落た服を脱いで一晩腰を振っていればいい。女でもできるだろう」
 
 
 俺が女亭主の悪徳に頭を悩ませてる間、調度イヴェールの隣に気質の良さそうな態度で座って金の相談にならのろうかと話しかけてきた(俺は勝手に考えの外れた資本家だと思っていたが)男がそう言い出すまでにそれほど時間はかからなかった。イヴェールはさっきから彼の話を落ち着いた笑顔で聞いていたが(実際のところイヴェールのその顔は人の話半分でしか聞いていない顔であったが)その表情は変えず、しかしあきらかに瞳の色が冷たくなった。
 悩ませていた頭が重く、俺はカウンターに肘をつき顎を手で支え、たるそうにその男を見た。まったく、驚いた。とんでもない話を切り出してくるやつもいるもんだ。
 
 
「お前の目は硝子球か?女にしかできないの間違いだろ。こいつに何を期待してるのか知らねぇが、残念ながら男でしかないぞ」
 
「お前は少々ごつすぎるからな。コイツみたいな小柄な奴が調度いい」
 
 
 そいつの物言いが癇に障り、肘を突いたままぴくり眉を吊り上げる。小柄と言われれば嬉しいわけでもないのだが、自分の体格を否定されるのはなかなか気分のいいものではない。
 しきりにイヴェールに不快を与えないように話しかけている男の黒髪は清潔そうに短く切りそろえられ、顎に蓄えられた髭も決して人に不潔を感じさせるものではなかった。この酒場におけるイヴェールの不似合いさが異様すぎて目立たないが、回りを見回してみて比べてみればその男も随分とこの場所には不似合いだった。しかし、イヴェールと違って完全に慣れている。似合わないのはその態度だ。容姿や服装はいたって溶け込んでいるが、その余裕のある態度の陰に潜む見せ掛けの優雅さと味気のない優越に浸る様子が妙に鼻についた。おまけにカウンターに置かれた小袋はそれなりの重みを含み、じゃらりとした耳をそそるいい音が響く。ほぉ、と息を吐いて観察してみるがいい香りはしないようだ。
 どうやら本気でイヴェールを買う気らしく、男であることを気付かせようという行動は無意味なものだったようだ。少し笑いそうになるのを腹筋に力を入れて堪え、腕組をして不機嫌そうに立っていた女亭主に顔を向ける。
 
 
「なんだありゃ?金持ちか?」
 
「貴族に買われてる賊さ」
 
 
 明らかな嫌悪感を隠そうともせず、彼女は口角を持ち上げ嫌な笑みを浮かべながら、今度は男に向かって言葉を続けた。
 
 
「しっかし、あんたんとこの主人が男色家だったとは驚いたね。いい笑い話ができた」
 
「レティーシア、その主人から手紙だよ。訳在りの亭主は大変だな」
 
「あんたらなんかに払う誇りはないよ」
 
「可愛げのない女だ」
 
 
 レティーシアは、金箔で装飾された高級そうな封筒を受け取り、蜜蝋に印されている印を見るなりそれを破ろうともせずにその場に投げ捨てた。
 なるほど、と俺は目を細めながらそのやりとりを黙って見つめる。前にこの店が有名なブランド企業に買い取られるなどという問題がどうのと、ここの店員の愚痴に付き合わされたことがあった。しかし経済の話はさっぱりなので、我ながらの演技力で同情し適当に頷きながら只酒を楽しんだだけだったが、どうやら問題は順調に進んではいないらしい。酒と自由を誇りにする海賊生まれの女がおとなしく店の名前を売るはずはないというのは足し算より簡単に導き出せた答えではあった。
 目の前の男を送りつけてきた貴族がそのパトロンか。それにしても、貴族のいざこざに巻き込まれるのは避けようと知らん振りを決め込んでいたが、イヴェールがからまれるとはやっかいなことになったものだ。うまく冷静になってきりぬけてくれることを心底願ったが、彼は「へぇ」と心からの感嘆の声をあげる。
 
 
 
「こっちの世界じゃ野良犬でも金持ちに尻尾振って、主人好みの夜の相手を見つけ出せば出世できるのか」
 
 
 
 イヴェールがさらっと笑顔のまま言い放った言葉に一瞬辺りは静まり返る。さらに追い討ちをかけるように「すごいな、僕には真似できないや」と、まったく子供っぽく言ってのけたイヴェールに俺は血の気が引いた。
 
 そして真っ先にその言葉に反応したのはレティーシアであり、組んでた腕を解き、吹きだした口を慌てて押さえ、堪えようとはしていたが、しかし確実に肩が震えている。いつのまにか店の問題の行く末が気になっただけあろう、貴族の雇われ人に注目をしていた他の客達の間からも、くつくつと笑い声が聞こえてきた。
 遂に誰かが堪え切れずに上げた高笑いに、他の客達もどっと続く。レティーシアも先ほど口を押さえていた手はなんの役にも立っておらず、カウンターをばしばし叩いて腹をかかえて笑っていた。店内は自分達が入ってきた時以上に笑い声で溢れかえる。イヴェールは満足そうに美しく微笑んで、それとは反対に俺の心は沈みきっていた。貴族のお使い役の男は、ようやく自分が大変な恥辱を受けたことに気付き、人の良さそうに作っていた瞳は完全に仮面を剥がし色を変えている。
 最悪だ。
 
 
 
 
「・・・餓鬼だと思ったが、大層な口の持ち主だ」
 
「メルシー」
 
 
 イヴェールは余裕そうに微笑みを絶やさない。
 
 
「口は災いの元だということを知ってるか?」
 
「あんたよりはね」
 
 
 イヴェールがそう言った瞬間、男はカウンターに置かれているまだ中身が残っているグラスを手にとって、こちらが警戒する暇もなくイヴェールへとぶちまけた。
 氷が床に落ちて割れる音、激しい水音、男達の笑いで溢れていた店内が糸を切ったように静まり返る。
 
 静寂が深く、そして重い。
 俺は動けず、イヴェールは下を向いたまま前髪から酒を滴らせ、男だけがゆっくりと腕を組んで立ち上がった。
 
 
「金のない貧民街の野郎がよく言う。折角そんな野郎を買ってやるというのに・・・犬はどっちだ負け犬が。タダで酒が飲みたいならこの床でも舐めてるんだな。染み付いた酒の味が楽しめるだろ」
 
「・・・・・・」
 
 
 ひでぇな、と誰かの呟きが聞こえたが、男はそれに耳を貸す気はないらしい。彼は完全に自分自身を驕っていた。この酒場などに足を運びに来る奴は自分の足元に及ばないと。イヴェールの言葉はとんだ子供の戯言で、自分の行動が当然であるというかのように堂々と立っている。
 すこし後のテーブル席では3、4人の男がにやにやとこちらを見ていた。仲間とは厄介だ。俺は俯きっぱなしのイヴェールの様子に焦った。彼はこういう状況に慣れていない。イヴェールの先ほどまでの口振りに遊び半分の冗談めいた感じはしなかった。既に気が立っていたようだ。
 男はもう一度、鼻で笑うように口を開いた。
 
 
「そっちの方が色気が出ていい格好だ。お前等下層市民にはお似合いだろう」
 
 
 
 その言葉が終わると、準備しきっていたように、おとなしくじっとしていたイヴェールが椅子を蹴り倒さんばかりの勢いで立ち上がった。その右腕が、最近俺が飾り程度として安い金で買ってやった(そんなことイヴェールに伝えるわけもないが)腰に刺さっている剣を掴む。
 
 
「ば、馬鹿が!」
 
 
 俺は反射的な勢いのまま言葉を吐き捨て、イヴェールがその剣を引き抜く前に立ち上がり彼の襟首をつかみ力の限りこちらに引き寄せた。予想外のことに驚きバランスを崩したイヴェールが背中から俺に向かって倒れこんできたのをそのまま彼の肩に右腕を回し、左手で彼の両手を拘束する。何するんだとイヴェールに睨みつけられたがそんなのに構っている暇はない。
 
 イヴェールは確実に勘違いをしている。自身がそうであるわけではないのだが、彼は精神の発達が著しいときに貴族を見て育ってきた。しかし、ここで剣を抜いて行われるのは高き誇りを賭けた決闘ではなくただの喧嘩なのだ。それに一対一のルールもなければプライドもないの。
 そんなものに、今の彼が求めているであろう価値などあるはずがなかった。
 
 大きく揺れたイヴェールの抜きかけていた剣が、持ち主の手から離れれ、単純な物理的現象により床に落ち空しい音を立てた。その剣は少しだけ床の上を転がったが力尽きたようにイヴェールの足に切っ先がぶつかって動きを止める。
 これくらいのことで剣を手離す程度では・・・。
 イヴェールの行為に、願ってなどいない予想通り、テーブルに座っていた、やはり同じ側の人間であった男等が警戒して立ち上がる。それに一歩引き下がった。とにかく、イヴェールの言動は気の迷いでありこちらに戦闘意思はないということを示さなければならない。しかし、頭を下げて済みそうな状況ではなかった。
 
 
「ちょっと!」
 
 
 凛とした声を上げたのはいつのまにカウンターから出てきた女亭主だ。俺の視界を遮りこちらに背中を向け仁王立ちしていた。
 
 
「うちの酒を喧嘩の種にするような奴は今すぐ出て行って頂戴」
 
「喧嘩の種を作ったのはそっちの坊やじゃないのか?」
 
「なに、んぐっ・・・!んー!んー!」
 
 
 男の挑発にそのまま乗ろうとしたイヴェールの口を無理矢理塞ぐ。ごもごもと喉だけ騒ぎ出す彼を必死で押さえ込む。呆れて溜息をつきながら眉を眉間に寄せながら振り向き、助けるつもりを台無しにする気かという視線をこちらに送ったレティーシアに全力で首を横に振った。
 
 
「身に覚えがないそうだよ」
 
「ほぉ、とんだ弱虫だな」
 
 
 今度はイヴェールが声を上げようとする前に口を塞ぐ手の力を強くした。すると手の平から痛感が伝い、息を呑む。この野郎、噛み付きやがった!しかし、そんな程度のことに悪態をついている場合ではない。
 イヴェールを濡らしていた酒がこちらのシャツにまで染み込んできて、張り付くシャツとアルコールの強い匂いに不快感を感じながらも、その感情を押し殺す。感情をそのまま表に出すなど正当だが愚かな行動などはしない。
 
 
「本当に弱虫のようだな。それとも弱虫なのはそっちの白髪の兄ちゃんの方か?睨みつけるだけじゃ人間に風穴は空かないぞ」
 
「・・・・・・」
 
「・・・・・・」
 
「・・・・・・・・・」
 
「・・・つまらない野郎だ」
 
「・・・・・・」
 
「つまらない野郎につまらない酒に・・・ほんとにつまらに店だよ、ここは」
 
 
 そう言った男は先ほど中身をイヴェールに浴びせて空になったグラスを床に叩きつける。鋭い硝子の割れる音がしんとする店内に響いた。
 しかし、もうそれに反応する者はいなかった。静寂と無関心を保ち、視線で空気を圧迫する。男は眉を潜める。後についている彼の連れは少し動揺しながら立っていた。
 もう完全に空気はこちらのものであった。その事実に安堵する。イヴェールは不満な目をしているが、もう落ち着いたようである。そうだ、彼は頭は冴える。冷静になればどこが賢い道かというのはわかるはずだ。
 
 
 プライドなんてものは精神の問題であり、物質的価値がない以上、ここでは背に背負った錘でしかない。プライドなんのと騒ぎ立てるようなやつは光を浴びすぎているとんだ幸せ者だけだ。太陽の下でその価値がどんなに謳われても、この薄暗い屋根の下では何の腹の足しにもならない偽物の宝石、光るだけの石ころだ。
 
 
 「戻るぞ」、そう男は残して酒場を出て行った。本当に静寂しか響いていない店内では、古くなった蝶番の軋む音がよく聞こえた。
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(それは空しく)
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もうちょっと続く
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