「しかし、今度はまた・・・随分と派手な化粧だね」
シルクハットの男は目を丸くして驚いた演技で口を開いた。彼が役者であることを知るローランサンはキッと紳士を睨みつけ、僕は腕の傷の痛みに溜息をついた。
「血化粧の間違いだろ」
「こりゃ失礼」
ローランサンは低く呟き賢者の謝罪を聞くなり、持っている血や泥で汚れた剣を投げ捨て、ベッドに座っていた体制から思い切り後に倒れこんだ。ぼすんという空気の抜ける音と共に僕の気力も抜けていくようで、座っている椅子の堅い背もたれに全身を預ける。横たわったローランサンと座っている僕と、そして優雅に一人美しくスーツ姿で立っている賢者を結ぶ三角形の中心に位置する床に散らばるのは紙の束。そしてそれが死人のように疲れ果てた僕等のその原因である。まさか、紙というものが集まるとこれほど重いものだとは思わなかった。
賢者はその中の一枚を拾い上げ、満足そうに微笑んだ。光物の価値しか興味のない僕等には到底理解できない笑みである。ローランサンはやっと身を起こし、顔に付いている、返り血か自分の傷から溢れた血かもうわからなくなった血痕を不快そうに手で拭った。それを見て、僕も近くに置いてあったタオルで顔を拭く。賢者が用意してくれたこの宿に着いたときはお互いに酷い格好であった。汚れを僕ほど気にしないローランサンも、今回ばかりは、この血と泥と汗で色が変わってしまったシャツを買い換えなければならないと言った。無論、逃走中何回も転んでしまった僕も同意であるし、寧ろ今すぐ脱ぎたい気持ちである。
「全く・・・本当にお前の依頼は最悪だ・・・」
「同意するよ、ローランサン」
「だったら、なんでわざわざこいつの言うことを聞くんだよ。俺は嫌だって言ったじゃねーか」
「僕も嫌なんだけどさ・・・」
「100回目だぞ」
「8回目だ」
僕等の会話に水を差すように呟いた数字に煩い学者は、ローランサンの射殺さんばかりの眼力を軽々と無視して床に散らばる紙をもう数枚拾い上げた。僕も少しの好奇心と退屈な時間凌ぎに、その中の適当な一枚を拾い上げる。その紙に敷き詰められた文字に、僕等の先ほどまでの苦難を思い出し、かなりの重みを感じた。『ディアマンルージュ・殺戮女優・美しく残酷な宝石』冷淡かつナンセンスなタイトルの新聞記事のコピーに溜息をついた。この紙がこの宝石であるならば、僕等の傷は名誉である。
「ミシェルだかなんだか知らないけどさ、随分執着するんだね」
「こちらにもいろいろあるのだよ」
薄く微笑む瞳の理由は気になるが、今更謎の多すぎるこの男に質問をする気にもなれない。それなりの報酬が貰えるのはいいが、どうもこの男は人使いが荒いようだ。一度幼いころに家計の問題で助けてもらったとはいえ、流石にこの類の依頼はかなりこたえる。やれ美術館だやれ図書館だ、同じような情報ばかり集めて何が楽しいのだか。
「くそっ、なんで美術館の警備があんなに堅いんだ!おかしいだろ!」
「ご苦労様、感謝してるさ」
「数学者はいつも勝手だから嫌いだ・・・」
おまけに執拗な性格であるからとんでもないことだ。よりによって、その執拗さが妙なところに向いてしまったようだ。
殺戮女王と謳われた呪われし宝石。人の血を吸って輝く宝石の名を知らないものは今やフランスには居ないだろうが、それによって引き起こされた莫大な数の事件の情報、ましてこの宝石のモデルである大昔の女優、ミシェル・マール・ブランシェ、彼女の事件まで加えるのだから、この仕事はいったいいつまで続くのか。更に加えて、彼の求めるものは保護が堅い。そのおかげで負傷するのが僕達なのは、これはまったく理不尽な話である。
「おやおや、悲しいね。いつの時代も学者は聖者で、預言者だ」
「予言できるならもっと盗みのいいやり方を教えてくれ」
「怪我しないで服が汚れない楽なやつがいいな」
「時間がかかりそうだね」
「ペテン師め」
ローランサンの呟きに、先ほどから紙の文字ばかり追っていた賢者の目がふと動きを止めた。ふむ、と顔を上げ、その紙をはらりと床に落とし、体の前で両手を広げてみせる。
「君達、まず数式がいるんだ、わかるかい?」
突然の脈拍がないような話にただ文句ばかり垂れていたローランサンの口もすっと閉まって、眉間に皺を寄せながら賢者を見た。僕も同じように彼を見上げる。
「そうだね、現在の時間を『t』と置くとしよう」
そうゆっくりと話し始めるが、どういうわけか楽しそうな賢者の顔に、黙って聞く体制に入ってしまったことに少し後悔した。悪い予感が脳裏を掠める。
「『t』を組み込んだ一つのある事象に対する方程式を組み立てる。いろんな手段を使ってね。方程式さえ出来ればあとは嵌め込むだけでいい。『t』の時間を現在から過去に置き換え、その方程式を解けば、その事象の過去の結果がわかるというわけだ」
「だからなんなんだよ」
ローランサンの横槍に賢者は笑いながら広げていた手を閉じ、右手の人差し指を立て、左から右へとカーブを描くように動かした。多分、彼から見れば、その指先が指してるものが、ローランサンであり、そしてそれが僕に移った形になる。僕に向かって指された指に反応し、彼の目を見てみれば、ローランサンにわからないように賢者は目を細めた。何かを、僕にだけ伝わるように。
「同じように『t』に未来の時間を嵌め込むのだよ。そうすれば・・・」
「未来がわかる」
僕がそっと呟くと、僕を指していた指がパチンと鳴った。
「その通り」
「・・・・・・」
「予言とはこういうものだ。君達の遊びも、成功の数式が導き出せればもっと楽になるだろう。まずは確率論でも勉強することだね」
言い終わると、被っていたシルクハットを鳴らした指と同じ手で取り上げ、近くのテーブルの上にそっと置いた。そのまましゃがみこみ床に散らばる資料をかき集める。偉そうな紳士が床に膝を付くのは全くいい様だが、それすら見惚れるくらい様になるのだから、本当に嫌味な男である。
さて、今までの説明を上辺の本質と結果だけ、つまり数式があり予言ができ、予言には数式がいり、その程度ぐらいは理解したローランサンは早速文句があるようで早々と口を開いた。
「だったら次はその数式を作ってから俺等んとこに来るんだな。うんと楽な方法用意しろ」
「時間がかかると言っただろうに。簡単に言ったが、数式を作り出すのは何かと難しい」
「知るかよ、俺達には関係ない」
「数式を作るにはデータがいる」
「は?」
ローランサンは眉を寄せ、賢者は薄く微笑んで答えた。
「実験結果だよ」
紙の散らかりを束ねた賢者は平面な床を使い、とんとんとそれを綺麗に揃えた。その束を持って立ち上がり、テーブルの上のシルクハットを被り、懐の中から小袋を出しシルクハットの代わりにテーブルに置いた。耳に心地よい金属音がする。どうやら今回の報酬のようだ。それを見ながら僕は彼の話に聞き入ってしまったことに後悔するのだった。悪い予感、僕の予感は当たるんだ。
「君達にはもう少し苦労してもらうよ」と、そんな捨て台詞を残して去って行った賢者をあとに、ぽつんと取り残されたテーブルの上の小袋を手に取った。重みにそれなりの満足はあり、開けて中身をテーブルの上に出して、数を数えた。腕を動かすたびに、傷からずきりと痛みが走る。どうやら痛みはそう早く引いてくれそうにないのであろう。
そんな僕の横でローランサンは、あと何回苦労するのかを一生懸命予想しているようで、僕は金貨を数えていた手を止め、首を振りながら、溜息をつき自分自身を哀れみながら彼に言った。
「ローランサン、あれは屁理屈だ」
(働けば食にはありつける)
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ちょっとふざけた賢者と盗賊sの話しが書きたかったわけです、よ。
賢者は働けと言いたいらしい。