テノールとバリトンの歌声の中に花が咲くようにソプラノが混じってきた。舞台の上では派手な衣装の歌い手の周りを丈の短いドレスの女達がバレーを踊りながら囲っている。男の低い声を土台に女優は高らかに声を上げ、マエストロは指揮棒振り上げ楽器は唸る。
 ふう、と一拍おき、僕は溜息をつきながら肩の力をそっと抜いた。そして隣の紳士に向き直る。
 
 
「面白くないな・・・」
 
 
 さっきから舞台の展開に盛り上がりがない。一つ前の場面と同じ空気で続いていく物語に僕はいよいよ目を瞑った。ソプラノ歌手の声は頭が痛くなりそうだ。テノールは聞き取り難く、逆にこちらが疲れてしまう。価値の高い役者というものは、すぐに出世して都市へと向かってしまい、こんな田舎町の、少し他より裕福な庶民向けのオペレッタなど、この程度が限界なのだろう。踊り子のドレスの短さも、仕事帰りの男狙いなどで、まったく彼女達の美しさを表に出せていないのだ。
 
 芸術の理解力には確かに個人差というものが生まれるが、しかし自分は隣で髭をいじりながら先ほど僕が放った言葉に眉を潜め「手厳しいね」と呟きながら、しかしそれでいて口元は笑っている男がそれほど低俗でないことなど知っている。久しぶりに現れて食事にでも誘ってくれるのかと思いきや、こんな小さな居心地の悪い歌劇場に連れ込まれる理由がわからなかった。話したいことでもあるのなら、別に僕等の泊まっている宿でも構わないだろうに。寧ろ、そちらの方が幾分もましである。
 
 
「お気に召さないかな?」
 
「それって冗談?僕って今笑った方がいいの?」
 
 
 少々本気の怒りを捻り込んだ台詞のつもりだったが、くすくすと笑い始めた賢者に頬を膨らませた。単なる時間の無駄ではないか。
 賢者と反対側の席に座っているローランサンは、腕組をして下を向き顔を隠している。何か考え込んでるような姿勢だが、一定間隔で聞こえてくるのは寝息であった。元々、芸術に、そして音楽にさほど興味もなく、さらに加えて母国語もままならないまま外国語で歌われてしまったオペラ鑑賞に比べれば、彼はゆっくり睡眠を取るほうが大事なのであろう。
 
 
「相方は気楽そうだがね」
 
「ローランサンらしいな・・・」
 
 
 僕が溜息交じりにそう言うと、ふと傾いた彼の体がこちらに倒れこんできて、すっかり僕の肩を枕にしてしまった。僕は冷たい視線と暖かい気持ちで彼を見つめ、本当にぐっすりと寝てしまったのかかなりの体重が自分の体にかかっていることに顔をしかめた。
 
 
「随分と信用しているようじゃないか」
 
「割といつもだよ。酒を浴びすぎたときとか…」
 
「イヴェール、君のことだよ」
 
 
 そう静かに低い声で呟いた賢者に、少し間を取りながら、僕は表情を変えずに、顎を少し引き、顔の角度を変えて視線を舞台から彼へと移動させた。彼の表情もさきほどから変わっておらず、紳士らしく口角を緩やかに持ち上げ、高級そうな微笑を浮かべている。会話の流れの意図を読み取ろうと、目を細めながら、その暗い瞳を覗いてみるが、しかし何も語らない。賢者の瞳はいつもものを言わなかった。
 僕は、何と返事をしようか迷っていると、彼の方が先に、瞳の色を変えずに口を開いた。
 
 
「何故なのか気になるところだがね」
 
 
 その言葉に首をかしげるふりをする。本当に先ほどから会話の意図が理解できないどころか、彼の表情からして読み取れない。湿気の多い霧と話している気分だ。
 
 
「今更僕等の関係に理由でもつけろと?」
 
「しかし、証明の過程を通過してない事実というのは不安定なものだ」
 
 
 賢者は妙に奥のある微笑みを浮かべながら小さく首をふった。
 
 
「美しくない」
 
 
 その時、客席からどっという歓声が上がった。そっと視線を戻すと、舞台の役者が何か冗談を言ったのか、ボックス席のパトロンが自慢そうな顔をしている。時間と話の盛り上がり(雰囲気は盛り上がれてはいないのだが)から考えてそろそろ終わってくれるのだろうか。客席では、ちらほら既に席を立とうとしている客が見えた。
 つまらない舞台に加えて、賢者の話もつまらなかった。彼の誘いを受け入れて、それがつまらないとは珍しい。彼は僕が気分を害すことはしようとはしないのだが。
 気分を害されたついでに、腹癒せとして何か言ってやろうと思い、思考を廻らしてみると目に入ってきたのは
僕に身を任せている相方の頭である。「ローランサンが聞いてたら、意味が分からないって怒りそうな話だな」そう呟くように言ってみれば「彼は寝てるだろう」とあっさりとした返事が返ってきてしまった。しかし、その物言いがあまりにも当たり前のようだったので、もしかしたらそのために僕等をここに呼んだのかもしれないという推測が容易に立てられた。
 
 
「漠然とした常識といのは恐ろしいものだよ」
 
 
 賢者の言葉を聞きながら、だったら僕も最初から眠ってしまえばよかったという幼稚な後悔が胸に過ぎる。肩にのしかかる重みの根源であるローランサンをそっと見つめ、彼を起こしてしまわぬよう配慮しながら、僕は頭の角度を変えて彼の頭に自分の頬をくっつけた。一定間隔で聞こえてくる寝息から生という存在感を感じて、そしてここまで僕に安心感を与えてくれるような人間はそう居ないのだろう。しかし、それが賢者の言う証明にはならない。そして、証明など必要ないと思っている僕の思想を彼は否定しているのだ。確かに人間同士の繋がりなどというものは目に見えないほど不安定なものである。
 でも、きっと僕等はそんなものでは、・・・。
 
 いつのまにかカーテンコールになっている舞台では、先ほどまで中央で歌っていた女優が美しい微笑みでお辞儀をしていた。拍手と歓声を浴びながら微笑む彼女は、それまで役を演じていたときよりずっと綺麗だったので、僕も手を胸の前で叩く。しかし、その美しい表情のままで終わってくれるように、カーテンが閉じた後は彼女がまた出てこないよう、僕はそっと冷酷な表情で、手を叩くのをやめ、拍手が鳴り止んでくれることをそっと願っていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(美しくある必要などないはずなのに)

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リクで盗賊s+賢者ということだったので。
賢者は難しいな。
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